Faveur

ファブール 【花の恵みに寄り添うくらし】 バッチフラワーレメディ 

弱さの向こう側

 

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自分に正直に、自分らしく生きるということは、時にとても辛いことのように感じられます。

自分が今何を感じたのか、自分は今相手から何を受け取ったのか、それらを「そのまま」認めることが、とても難しく感じられるのです。

 

その感情がとても辛いものであったり、事実を認めたくなかったり、知らないうちに期待していたその「期待」を裏切られたことにショックと深い悲しみを感じていたり、自分にとって大切な人であればあるほどその言葉に揺さぶられたり・・・。

 

自分にとって都合の悪いことは隠しておきたい、それが人の性なのでしょうか。

 

わたしも含めて、わたしたちは皆、自分の弱さ、小ささ、未熟さ、幼稚さ、そういうものから逃げながら、ごまかしながら生きているような気がします。

でもその先に、いったい何があるのでしょうか。

 

自分の「思い」から、逃げ出してしまいたい・・・そう思いながらも、それでは今までと何も変わらないのだと、思い至ります。

 

悲しみや、もどかしさ、苦しさ、不甲斐なさ、そういうものの中にじっと身を横たえること。

それは、人によっては不快感のなにものでもなく、また恐れを伴うものでもあります。

それでも、その恐れの先から見えてくるもの、自分の弱さの向こう側を、見てみたい・・・そんなふうに思いました。

 

偶然読んだOsho Japanの記事がとても今日の気持ちにシンクロしていたので、ご紹介します。

 

OSHO:今週の瞑想 [悲しみに瞑想する]

 

 悲しみは、あなたをとても豊かにする経験になり得る。あなたはそれに取り組まなくてはならない。自分の悲しみから逃避するのは簡単だ——そして普通、あらゆる関係が逃避だ。人は、ただ悲しみを避けつづける。が、それはいつも根底にある——流れは続いているのだ。関係のなかですら、それは何度も爆発する。そうなると、人は責任を相手に転嫁しようとしがちだが、それは的外れだ。それはあなたの淋しさ、あなた自身の悲しみだ。あなたはまだそれと決着をつけていない。だから、それは何度も何度も爆発する。

 あなたは仕事に逃げ込むこともできる。別の何か、関係や、社会や、いろいろなこと、旅行などに没頭することで逃げることもできるが、そんなやり方では消えはしない。というのも、それはあなたの存在の一部だからだ。

 人はみな、ひとりで生まれる——この世に、ひとりで。両親を通って、それでもひとりでやって来る。そして、人はみな、ひとりで死ぬ。再びひとりで、この世から去って行く。このふたつの孤独のあいだで、私たちは自分を騙し、欺きつづける。勇気を持ってこの孤独の中に入って行くがいい。初めはどんなにつらく困難に思えようとも、それはとても大きな報いをもたらす。一度あなたが悲しみと決着をつけたら、一度あなたがそれを楽しみ始めたら、一度あなたがそれを悲しみとしてではなく沈黙と感じ始めたら、一度あなたがそれを逃避するすべはないと理解したら、あなたはくつろぐ。

 それに関しては何もできないのだから、それを楽しんだらどうかね? その中に深く入り込み、それを味わい、それが何であるかを見たらどうかね? なぜその必要もないのに恐れる?もしそれはそこにあり続け、偶然ではなく実在する事実だとしたら、それを認めたらどうかね? その中に入り、それが何なのか見たらどうかね?

 悲しく感じたらいつでも、静かに座り、悲しみがやって来るのを許すがいい。それから逃げようとしてはいけない。できるかぎり悲しくなりなさい。それを避けてはいけない——それをひとつ、覚えておくことだ。泣き叫び、嘆き悲しみ......それをすっかり味わいつくすがいい。死ぬほど泣くがいい......大地にくずれ落ち......転げまわる——そして、それが自然に消えていくに任せる。それを無理やり消そうとしてはいけない。それは消える。というのも、誰も永遠に同じムードではいられないからだ。

 それが去って行ったら、まるで重力がすべて消え、無重力で飛ぶことができるかのように、あなたの重荷が降りる、重荷がすっかり降りる。そのときこそ、自分自身のなかに入る瞬間だ。まず悲しみをもたらしなさい。普通の傾向としては、それを許さず、なんらかの方法や手段を見つけて、自分の目を他にそらそうとしがちだ——レストランに行ったり、プールに泳ぎに行ったり、友人に会ったり、本を読むか映画を観に行ったり、ギターを弾いたり——とにかく時間をつぶし、注意がどこかほかへ向くように、何かをする。

 これを覚えておくべきだ——悲しみを感じたら、機会を逃してはいけない。扉を閉めて座り、世界中がまさに地獄であるかのように、できるかぎり悲しみを感じるがいい。そのなかに深く入って行くがいい......そのなかに沈み込むがいい。ありとあらゆる悲しい考えがあなたのなかに浸透するのを、すべての悲しい感情があなたをかき回すのを許すがいい。そして泣き叫び、嘆き悲しみ、言いたいことを言いなさい——大きな声で言いなさい。なにも心配することはない。

 だから、まず最初に、2、3日悲しみを生きてみるがいい。そして、その悲しみの勢いが過ぎ去るとき、あなたはとても穏やかで安らぎを感じる——まるで嵐のあとのように。その時こそ静かに座り、ひとりでにやって来る沈黙を楽しむがいい。それは、あなたがもたらしたのではない。あなたは悲しみをもたらしていた。悲しみが消えると、そのあとにつづいて、すぐに沈黙が定まる。

 その沈黙を聞くがいい。目を閉じなさい。それを感じなさい......まさにその手触りを感じなさい......その香りを。

そして、もしあなたが幸福に感じたら、歌い、踊るがいい。